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政情に翻弄された自治体病院を地域密着の医療で活路を拓く

岐阜県

美濃市立美濃病院

阪本 研一 院長

中部

行政の取組みや取り巻く状況や情勢、医療政策も次々に変わります。自治体病院は最もその影響を受けやすいと言えるでしょう。そういった中でも一貫して地域密着の医療を運営するのは容易ではありません。17年に渡り、美濃市立美濃病院の院長を勤めた阪本病院長にお話していただきました。

安定しない経営元での運営と組織構造を造り上げる

私は、17年前にこの病院に就任しました。当時は平成の市町村合併の真っ只中で、美濃市もこの問題に直面しました。そもそも市が存続するか分からないような状況で、かなりの費用をかけてこの病院は新築されています。多くの負債を抱えていて、病院として成り立つのかというかなり不穏な状況でした。様々な協議の中でようやく隣の関市と合併しないと決まり、正式に美濃市という単独の自治体病院として存続することになったのです。

出発から手探り状態で、その上で医師の臨床研修制度が変わる時代に突入しました。医者の供給のスタイルが変わり、そのあおりを一番に受けました。そして、常勤の医師が減ってしまったのです。その後増減はあるにしろ、慢性的に人手不足のまま現在に至っています。

人手不足の中で様々な医療サービスを行なうためには、結局のところ効率化が必要ですよね。無理せずに楽しくサービス提供しようと思ったら効率化の思想が必要で、それを17年間一貫してやってきたのです。それが結局、自治体優良病院表彰を得るところまで繋がりました。

自治体病院と民間病院の大きな違いは経営力です。自治体病院は市の職員が数年単位でころころと異動します。そんな中で経営をするので、非常に経営力が弱いのです。私が就任して初めに手掛けたことは、一定のスキルを持った人を一定の期間配置することです。市から来る事務のトップは、やっぱり優秀な人じゃないと務まりません。優秀な人がちゃんとトップになって医療のことを理解して、一定期間勤め上げることが経営の基本的な構造ですよね。その後は、それを支えるスタッフを確保します。

いろんな機能をサポートするためには専属のスタッフが必要です。しかしながら、公立病院にはその専属のスタッフを確保する道筋がないのです。なぜなら、公立病院ではスタッフを市の職員として採用します。医師、看護師、臨床検査技師という国家資格をもった職種を何人、というように採用します。事務職も含めてそれ以外の仕事をしてくれる人は、数年単位で異動してくる市の職員に充当させるわけですが、当然ながら彼らはその道のプロではありません。

ですから、私は必要な職員をプロパーで病院にきちんと確保するということを段階的に実現させました。当時、市の職員が10人ぐらい配置されていましたが、半数は撤退してもらいました。代わりに病院で直接雇用し、病院のプロパー職員にしました。

公立病院でそういう意思決定をしている病院はなかなかありません。これができる、できないの違いは、市と病院運営に関して情報を共有できるかどうかなんです。院長の上司は結局、市長さんです。市長との面会を定期的にとることで、病院の経営状態や問題点を洗い出し、病院としてこの先どういう職種が何人ぐらい必要だということをプレゼンテーションします。それを繰り返すことで、相手の理解がだんだんと深まってくるかと考えています

人手不足があったからこその効率化

経営手法的には、当院は、地域のニーズにしっかり合わせて、コストをかけないでサービス提供をしようとしてきました。人手不足の中で、人員やコストをかける医療はそもそもできません。収益が少なくてもコストを抑えることができれば経営的には成立します。業務を見直して、誰がどの業務を行うと効率がよいのかを見極めて実行してきました。効率化は狙ったわけでなく、人手不足の中で、無理なく医療提供するためには効率化を図るしかなかったということです。

民間に比べて公立病院は医師の雑用が多い傾向があります。しかし、うちではほとんどそういったことはありません。というのも医師が少ないから、医師は医師でないとできないことをしないと医療提供ができないのです。これは他職種にも理解いただいています。

周囲のスタッフにはマックスの手助けをしてもらっています。最近はそれでもちょっと業務が苦しくなってきています。事務補助を増やそうとしていますが、事務補助も簡単に応募してすぐ来るわけではないのです。スキルもいりますし、人材を確保するのは大変です。

地域のために健康啓蒙の発信拠点に

この病院は、自治体と連携して住民啓蒙を担っています。地域密着型の病院として、平成28年に増改築しました。内容は地域包括ケアシステムであり、在宅の支援であり、疾病予防、検診といったところで健康管理センターがあります。健康ホールという100人くらいを収容できるスペースがあり、市民が集まれる拠点もつくりました。市立病院ですので、広報は毎月発行しています。様々なテーマで市民を集い、お話したことを広報で発信したりしています。

美濃病院という一つのハードがこの地域にあり、このハードを利用することによって健康を維持することができます。そのことを地域の人に自信をもって発信しています。このエリアの公立病院と、かかりつけ病院としてずっと長く付き合っていくことによって、この地域で長く健康な人生を送っていくことができる、そういう存在なんだよということに気付いてもらいたいと思っています。

他のクリニックとの連携も欠かせません。一昔前は地域のクリニックはいわゆる商売がたきで、病院連携なんてとんでもないという時代でした。しかし私が院長に就任する頃に、医師不足の問題が上がりました。そうなると全てを病院の中で抱えることができなくなるわけです。地域の開業医に外来をどんどんみてもらい、手に余った患者を送ってもらう、いわゆる医療ネットワークのメリットを一軒一軒の開業医の先生をまわって話しました。その実現のために、紹介よりも逆紹介を多くするようにしました。

また、同じ医療圏で救命救急センターを併設する中濃厚生病院を中心として医療圏の救急体制の底上げを行っています。歴代の救命救急センター長がずっと救急隊と勉強会を行っています。うちは美濃市の病院だから、美濃の患者さんは全員診るつもりでいます。しかし、人員や設備などの関係でどうしても手に負えないこともあります。診療範囲を明確にして、こちらで診療できない患者さんは中濃にお願いしています。代わりに軽症の患者さんは引き受けましょうという関係ですね。救急隊を介してスクリーニングされていて「こちらでお願いします」と暗黙の了解があるので断る理由はありません。

人手不足の課題と中長期ビジョン


この先は、何をやるにしてもやっぱり人員の確保を図らないことには何もできないと思っています。院長に就任して17年になりますが、創成期からぐっと伸びて安定して表彰も得られるような活動を続けていました。当時から一緒に歩んできたスタッフも高齢化により退職してきています。世代交代も見据えなければなりません。

中長期ビジョンでは、今の方向性で行けばいいと思っています。若い世代が働きがいを見出して、この病院で働いていこうというムードをつくりたいです。我々の世代と違って現代っ子には、やりがいとか働きがいといった部分が非常に重要になってきます。

特に医師に関しては、そもそもの医師不足・医師適正配置の問題がなかなか解消されません。これ以上状況が悪くなると、病院そのものが存続できなくなります。地域医療構想も政策の流れでどうなっているか分かりません。その中で戦々恐々としながら、生き抜いてきました。

医師確保については悩みは尽きません。この広い施設で常勤医師がわずか7名です。外科も整形外科も2人でやっています。2名といったら手術を行う最小単位なんです。それぞれ、この2人で年間200件以上の手術を行っています。

本当にしっかり仕事できて、地域医療も専門医療もちゃんとこの地域でやっていくんだというマインドの人を獲得して、長く働いてもらうというのは極めて重要なポイントなんです。

採用に関しては、ありとあらゆる手を尽くしています。最もオーソドックスなのは大学の医局です。ここだと岐阜大学になりますね。岐阜大学のそれぞれの診療科の教授のもとには頻繁に通っています。ただし、岐阜大学そのものが人材確保できていないという現実もあります。

また、多数の研修医を受け入れているいわゆるマグネットホスピタルといわれる病院とも連携を取っています。ここにきてようやく1カ月単位とか半年単位で研修医、専攻医としてきてくれるようになりました。私としましては、常勤医としてコアメンバーとして勤務してくれる人材が欲しいのですが、こればかりは思い通りにはいきません。

また、定年制の話もありますね。以前は60歳でしたが、今は65歳としています。65歳を超えても働けるような仕組みをつくっているので、若い人を確保すると同時に、そういうリタイアしたセカンドキャリア的な人の力も使えるような仕組みをもっと広げたいと思っています。

院長に抜擢された時代背景

実は公立病院の院長の選び方には一定のルールはありません。一昔前までは大学病院を辞めた教授らが県や市立病院の院長に就任することもあったのですが、さすがに今では少なくなってきました。その病院で長年勤め、人格なども含めて考査されるのが主流ではないでしょうか。

けれども、最終的に決定するのは市長や県知事というトップの方です。その人たちが現場の姿を知っているわけではないので、ここに配属されている市職員や県職員の意見というのが大きいのではないかと思っています。対象がいればこの人、その次はこの人など順次決まっていくのでしょう。当該者がいないときにどうするのかが大変な話だと思います。

私は、そもそも院長になるためにこの病院に来たわけではないので、どんな人事考査があったかはわかりません。大学の教授戦の狭間に、変革期の非常に混沌とした中になんとなくやってきて、いろんなことを発言している間に院長になってしまいました。今考えると当時42歳の私に、そのポジションをやらせようとしたのですから、すごいことですね。逆にそれだけ追い込まれていたのでしょう。本当に、そういう状況だったんですよ。