病院長ナビロゴ
われわれの仕事はよりよい社会をデザインすること。都市型ブルーゾーン「八王子モデル」のための取組みとはのアイキャッチ画像

われわれの仕事はよりよい社会をデザインすること。都市型ブルーゾーン「八王子モデル」のための取組みとは

東京都

北原国際病院

北原 茂実 理事長

関東

東京都八王子市で、脳疾患や心疾患を中心に予防から救急医療、さらにはリハビリテーションから在宅フォローまで一貫した医療を提供している北原国際病院グループ。「知恵と癒しで医療を変える、世界を変える」を理念に掲げ、市民に対する包括的な生活サポート、アジア諸国への医療システムの輸出や東日本大震災被災地の再生など、医療の範疇を超える様々な事業にも取り組んでいます。北原茂実理事長に、今回のコロナ騒動で白日の下に曝された日本の医療の問題点と、それを解決するために理事長が提案、実行されている様々な取り組みについてお話頂きました。

■「理想の医療」を考える前に、まず今の日本の医療の問題点を整理すべき

我々が目指す医療について説明する前に、先ずはわが国の医療の問題点について総括しておくべきと考えます。我々の仕事についてはその後でじっくりお話しましょう。


●日本の医療を支えてきた国民皆保険はもはや制度として成り立たない


まず日本型皆保険は戦後の混乱期を乗り越えるために緊急避難的に導入された途上国型の制度であって、保険でも社会保障でもないことを理解する必要があります。所得に応じて掛け金が決まること、積み立て方式ではなくて賦課方式であることはこの制度が理論的には保険ではなくて目的税であることを意味しています。結果、保険料が払えなければ保険資格を取り消されることになり弱者の救済には役立っていませんし、政府が一方的にこのシステムは止めたと宣言すれば何十年加入している人であろうと何の保障もなくなります。またフリーアクセスと皆保険の両立を謳っているため、全ての医療施設が質的に同じであることを前提としなければならず、医療の質に関する公表及び議論ができないという致命的な欠陥もあります。
にもかかわらず政府・医師会・マスコミは”世界に冠たる日本の皆保険”と喧伝してきたわけですが、考えてみればこれが成立するには①人口構成がピラミッド型であること、②経済が常に右肩上がりであること、③病気になる国民が少ないこと、が必須であり、日本がもはやこの条件を満たすはずもないことは明白です。皆保険が税システムであることを秘匿して全国民にあたかも理想的な保険であるかのように信じ込ませ、もって国民がこの根本的な問題について議論するのを妨げているのは一体なぜなのか、そして誰なのか。今一度冷静に考えてみる必要があります。

●財源の不足、人材の不足、誤った政策、医療レベルの低下など問題は山積み


国民皆保険という、医療を産業ではなくて施しとみなす制度のため、外貨を稼ぐ自動車産業が基幹産業と位置づけられているのに対し、800万人が従事する本来日本最大の産業であるはずの医療は経済の足を引っ張るお荷物扱いされています。企業と国民の負担を軽減するという理由で保険料は安く抑えられ、結果財源不足から医療者にはハードワークに見合った給料が支払われないので離職者が後を絶ちません。こうした財源不足、人材不足に対して、国はインバウンドのメディカルツーリズムによる外貨の獲得、安価な労働力としてのEPA看護・介護士受入などを提案していますが、いずれも自国の制度の歪みを他国民の犠牲の上に解決しようとする誤った政策と言わざるを得ません。
そもそも政府は「日本のおもてなしの医療、優れた医療を受けたがる外国人は多いはず」と踏んでいるようですが、今回のコロナ対策で図らずも明らかになったように既に日本の医療は様々な面で遅れをとっています。事情が分かっている駐在員は高度な医療を受けるためには母国に帰ることも多く、言葉の壁や医療情報の不足を乗り越えてまで日本で治療を受けることを望む外国人は決して多くありません。
そうした問題をきちんと整理した上ではじめて、全ての国民が楽しく幸せな人生を全うするために医療はどうあるべきか議論すべきでしょう。

■世界規模の新型コロナパンデミックはなぜ起こったのか

●飽くなき欲望を満たそうとする人間の経済活動こそがパンデミックの原因


本格的な話に入る前に、医療を考えるうえでも重要な転機となるであろう今回の新型コロナウィルスパンデミックについて少しお話ししておきましょう。
1910年代のインフルエンザ、いわゆるスペイン風邪の大流行の後、特に先進国では感染症は減り続け、1967年米国の公衆衛生総監が「人類が感染症に脅かされる時代は過ぎ去った」旨の議会証言を行うに至りました。それを受けて、以降医療のメインテーマは三大成人病に移っていくわけですが、20世紀もおわりに差し掛かったころ案に反して再び小規模なパンデミックが世界各地で散見されるようになり、1992年、NIH(米国国立衛生研究所)は前言を翻し「再び人類が大規模なパンデミックを恐れなければならない時が来た」という警告を発します。NIHはこれに際して「貧富の差の拡大」「人や物の移動」「開発や自然破壊」など13の項目を今後感染症を引き起こすであろう誘因として列挙しましたが、注目すべきはそれらのすべてが我々の経済活動、特に最近のグローバリズムや金融資本主義の結果であること、そしてまたこれら13の項目は同時に自然災害の増加、地政学的リスクの増大の要因にもなっているという事です。すなわち現在人類を脅かしている三大リスク、パンデミック、自然災害、地政学的リスクは等しく我々の、周囲を顧みない経済活動の当然の報いだというわけです。
こう言っては語弊があるかもしれませんがコロナウィルスの病原性は過去に大きなパンデミックを引き起こしてきた病原体に比べれば決して高くありません。それにもかかわらずなぜ世界がこれほどまでに混乱することになったのか。それは、我々が利益や豊かな生活を追い求める行為、当たり前のように営んできた経済活動そのものがこのパンデミックの原因であることを知ってしまったからです。
日本政府は「感染症対策と経済の両立」に拘っていますが、理論的に考えて以前の経済社会に戻ることが許されるはずはありません。13世紀の黒死病の後、被害が最も大きかったイタリアでルネサンス運動が起こったように、我々は今社会の在り方そのものを見直す現代のルネサンスを求められているのです。


●コロナの拡大防止には、ウィルスに対する知識と同時に「心」を重視した対策が必要


そもそも自然界には地表にも水中にも1㏄あたり数百万ともいわれる多量のウィルスが存在していて、ホストの間を渡り歩いて遺伝情報をやり取りし、生態系を維持したり自身や生物の進化を引き起こす重要な役割を担っています。近代になってその一部がヒトに対して病原性を有することを知り、以来人類はウィルスを自分から遠ざけるための防壁作りに心血を注いできたわけですが、最近の野放図な経済活動は先人が営々と作り上げてきたこの壁をいとも簡単に破壊してしまいました。再びウィルスの世界に足を踏み入れた我々に対してもはやいつ彼らが牙をむいてもおかしくはありません。今回のコロナについても第6波は必ず来ますし、その過程で変異が起こり、不幸にして病原性が高まれば今のワクチンなど何の意味もなくなるかもしれないのです。
我々はこの一年半、年間4000件の救急車を受け入れながら一例の患者感染も出しませんでしたが、その秘訣はスタッフや市民がこういった正しい知識を持ち、更にここにだけはウィルスを持ち込んではいけないという意識を強く持ってくれたことです。そうでなければいくらマスクや手袋を着用し手洗いをして三密を避けたところで、潜伏期があり不顕性感染も少なくないこの種のウィルスの侵入を防ぐことはできません。
先ほど経済活動が貧富の差や自然破壊を生み、それが人類を脅かすリスクにつながっているとお話ししましたが、別にすべてを諦めなくとも、この様に行動するに際してほんの少し周囲に配慮さえすれば大幅にリスクを軽減することは可能なのではないでしょうか。我々はそういった人の「心」、その表れである様々な日常行動にまで注意して、ウィルスや様々な災厄に負けない社会の在り方を考えようとしています。

■ブルーゾーンをヒントに、あるべき社会と医療の姿を考える

●いわゆる「ブルーゾーン」にはほとんどの場合、病院がない


ここで、これまでの話を元に、医療は本来どうあるべきかについて考えてみましょう。この問いに大きなヒントを与えてくれるのが、90歳を越えても元気に活躍している人の割合が世界平均から見て高い地域、いわゆるブルーゾーンで、イタリアのサルディーニャ島、ギリシャのイカリア島、コスタリカのニコヤ半島、そして世界自然遺産に認定された沖縄本島山原(やんばる)の大宜味村などがこれにあたります。
ブルーゾーンに住む人の共通点として、医療を受ける機会が少ないこと、住民の絆が保たれ社会的ストレスが少ないこと、そして何を食べるかよりも総じて摂取エネルギー量が少ないことなどが挙げられますが、手短に言えば、「食べ過ぎず、病院に行かず、ストレスがなければ人は元気でいられる」ということです。
実際食べることは人間にとってストレスであり、エネルギーも使います。活性酸素を発生させ老化を促しますので肥満の人は早く老化し、短命になりがちです。コスタリカ、ニコヤ半島の住民の平均エネルギー摂取量は何度調べても一日1,000kcal程度で、これは平均的日本人の半分以下です。また健康で長寿の方が多い禅寺では、朝は粥だけ、昼は雑穀米と漬物と具沢山の味噌汁、夜は食べないという食事が習慣化されており、禅僧は心を平静に保つよう努め病院に行くこともあまりありません。局所的なブルーゾーンが形成されていると言えるのかもしれません。
だとすればマクロの視点から考えたとき、病院はいったいどこに自らの存在意義を見出せるのでしょうか。


●コロナ下にもかかわらず超過死亡はマイナス! しかも総医療費は年間推定3.2%下がる不思議


他にもコロナ下に、病院の必要性を疑わせる興味深い事実が色々明らかになりました。昨年日本では、年間総医療費が概算値で3.2%も下がったにもかかわらず超過死亡はマイナスになりました。総医療費が下がったのは、一般の患者が感染を恐れて受診を控えたためでしょうが、にもかかわらずコロナでプラスになるはずの超過死亡がマイナスになったなら、本当は病院に行かない方がよかった患者が大勢いたということになります。
この不都合な真実について日本では報道も検証もされていませんが、実はアメリカでも同様の現象が起きており、検証の結果「本当に来院が必要な患者は全受診者の5%に過ぎない」、「過去まで遡って調べてみても全米循環器学会の開催期間には心臓死が明らかに減少する」などいろいろなことが言われ始めています。


●免疫力が人を治癒に導くのなら、それを低下させるストレスが少ない社会を作るべき


現在の医療は人が病気になるのを待って初めて利益が出せる、といった本来あってはいけないビジネスモデルになってしまっていますが、医療の本来の目的は、すべての人が健康で楽しく幸せに暮らすのを手助けすることにあるはずです。
もしもブルーゾーンにおいて、そこに住む人々が本当に病院なしに健康に長生きし、幸せを謳歌しているというなら、医療の役割は世界中にブルーゾーンのような社会を生み出すことにあるのではないでしょうか。つまり、本来「あるべき医療」について考えるということは、どんな薬を使うか、手術をするかではなく、皆がより精神的に解放され、ストレスを感じにくい社会を作るにはどうしたら良いかを考え実践することであり、それこそが我々のやろうとしている仕事です。

■我々の仕事は、よりよい社会をデザインすること

ここまで我々の仕事は「どんな医療を行うか」より「どんな社会をデザインするか」ということに力点を置いている、ということについてお話してきました。実際根底で社会を支えているのは医療以前の「第一次産業」「教育」「司法」であって、安全な衣食住や、他者を傷つけることの非を説く「教育」「司法」が確立していない社会において医療など何の意味も持ちえないことを考えてみれば、我々医療者がプロとして医療を提供しようとするなら先ず安全安心平和な社会の建設に務めなければならないのは当たり前のことです。
そんな考えから、今我々は「ワンヘルス」と「スモール・イズ・ビューティフル」という二つの概念を基本に据えて「あるべき社会」をデザインし、それを形にすることを自らの仕事にしようとしています。


●「ワンヘルス」


「ワンヘルス」は、この地球上にあるすべてのものは、地球それ自体も含めて全て生きていて1つに繋がっており、他者の犠牲や不幸の上に成り立つ幸せなどあるはずがない、という考え方です。
貧困に苦しむ人々に目を向けなければやがてスラムが発生し、そこでの治安の悪化や感染拡大が自分たちをも襲う結果になります。卵を産む道具のような扱いを受けている鶏の苦しみに思いを馳せなければ鳥インフルエンザが蔓延し、それが他の家畜を介して人間にも広がり第二のスペイン風邪になりかねません。資源をむさぼり、乱開発によって地球を傷め続ければホメオスタシスによって元に戻ろうとする地球の力が自然災害となって我々に跳ね返ってきます。
医療者は社会や自然について総合的に理解し、人や物が可能な限りお互いに傷つけあうことのない社会を目指すことによってのみ、医療本来の目的を果たすことができるはずです。

●「スモール・イズ・ビューティフル」。自分たちの手の届く範囲で成り立つ社会


スモール・イズ・ビューティフルは、経済学者のエルンスト・フリードリッヒ・シューマッハーが提唱した考えです。シューマッハーは「人口50万人を超える社会を正しく運営することは難しい」と語っていますが、人口60万の八王子市を本拠地とする私も正にその通りと思います。
今、人々はあふれる言葉に疲弊して自分に興味があるものにしか目を向けなくなり、生命に満ち溢れた現実の世界へのアクセスを、あたかも有害物質に対するアレルギーの様に拒絶するようになってしまっています。恐らくそれが他者の尊厳を見失わせて収奪行為を横行させ、社会を破滅に向かわせている原因であり、この状況から抜け出すためには、老若男女を問わずなるべく多くの人に心地よいと感じてもらえる環境を作り出し、その中で可能な限り周囲に心を開き、世界に対する信頼を取り戻してもらうしかありません。
そんな考えから今我々は本拠地の八王子で、衰退し続ける社会の再生に取り組もうとしています。本当にそんなことが可能か我々にもまだ自信はありませんが、現実に命を救うことで多くの市民と繋がっている我々にできないなら、巨大化しすぎて顔すら見えない政府にこの問題を解決する力があるとは到底思えません。

■本当の意味での医療の仕事とは何か。既存の医療に拘らず社会全体に目を向けて

我々は本拠地八王子で一貫した医療を提供する傍ら、ワンヘルスとスモール・イズ・ビューティフルの二つの理想を体現する社会を実現しようと様々な事業を展開しています。
目指すのは、今の社会を根底からしかも拙速に否定することではなく、手の届く範囲から小さな改革を積み重ねること、そして少しでも分かり合える人々を増やし、静かにこの街に浸透して遺伝子の様に社会に組み込まれ、未来を変えていくことです。


●八王子を都市型のブルーゾーン、そして世界に誇れるモデル都市に


我々の本拠地である八王子は人口60万余り、交通の要衝として栄えた歴史ある街で高齢者が増えてきている一方、市内には21の大学があって11万人もの学生や研究者が住んでおり、その数は一つの市としては恐らく日本一です。ミシュランで有名になった高尾山や川魚が住みワサビが採れる清流があり、21の牧場があって皇室献上米を生産する自然豊かな土地であると同時に企業の研究所や工場なども多く、ある意味自給自足可能な独立国のような土地柄です。
私たちはこの街を、若干人口が多すぎ、また都市化で地域社会がまとまり難くなっているなど難しい面もありますが、皆がそれぞれの居場所を見つけられ、幸せで豊かな生活を送れる都市型のブルーゾーンに発展させたいと考えています。大都市とも田舎とも異なりしがらみも少ないこの土地で新しい社会モデル、「八王子モデル」を生み出すことができれば、ここで学ぶ多くの学生たちの手によって拡散し、やがては日本を変える原動力になるかもしれません。その第一歩として、私たちは今以下に紹介する〈トータルライフサポート〉と〈ヒーリングファシリティー〉、その二つの開発に取り組んでいます。

〈トータルライフサポート〉
トータルライフサポートは、グループの株式会社が医療や介護はもとより災害時の避難、家屋や住宅の修理、買い物代行やペットの世話、複雑な行政手続きから看取り、死後の手続きまで生きるために必要なすべてのサービスを提供する会員制の便利屋サービスであり、北原トータルライフサポート倶楽部として既にサービスを開始しています。
万一の際に駆け付けサービスを提供できるよう八王子とその周辺のおおよそ百万人を対象としており、デジタルリビングウィルで自分に関する様々な情報を登録し、かつ信託銀行に決済口座を設定すれば、契約に応じて必要なサービスをキャッシュレスで受けることができます。
デジタルリビングウィルはサーバーの中に3重の生体認証によって守られた自分のサイトを立ち上げ、基本医療情報、生活情報、そして万一の際どうして欲しいかの意志などを随時登録できるシステムです。データは会員本人しか読み書きできませんが、会員数が100万人近くなるとAIが統計的に疾病、あるいは生活事故を予測して人手を介さず直接本人に警告を出せますし、契約によっては遺言としての利用も可能です。
サポートセンターはアクセスを許されているデータを一括管理する他、ウェアラブル端末などを用いて会員が今どこにいてどんな状態で何を求めているかを常時把握でき、必要な時に必要なサービスを提供できます。
サポートセンターと会員をつなぐユーザーインターフェースとしては、高齢者の利用も考えて自宅のTVに取りつけるだけで双方向通信が可能になる装置を開発中であり、来春には商品化の予定です。これには顔認証や決済機能も組み込まれていて、本人であればリモコンのチャンネルボタンを押すだけでセンターにつながりワンストップであらゆるサービスを受けられるほか、センター側からもアクセス可能で会員の安否を確認したり災害危険情報を送ったりできるようになります。双方向性TVでの日常のやり取りのうち重要なものは音声画像ファイルに記録可能で、将来的には現在の紙ベースの同意書や遺言書に替わるものになるかもしれません。
お気づきの方もあるかと思いますが、トータルライフサポートは地域の様々な情報や資源を取集し、会員の求めに応じて適切なものを取捨選択して提供するプラットフォームサービスです。グローバルなプラットフォームに比べればカバーできる地域は限られますが、サポートスタッフの介在により密度と自由度の高いサービスをワンストップで提供できるし、サポートスタッフが事務的な中継作業にとどまらずコンシュルジュ的な働きもすることによって、会員が猥雑な社会の中で孤立するのを防ぎ、生きた世界へのアクセスを容易にすることができる点もこのシステムの持つ大きな魅力です。
サービス提供価格にしても例えば買い物代行を依頼された際、我々がリハビリのために運営する農場の製品を医療スタッフが届け、同時に在宅ケアを提供するようにすればコストが下げられるし、プラットフォーム内で利用できる地域通貨を発行すれば、あまり国の財政を気にすることなくシステムを運営することも理論上は可能です。

〈ヒーリングファシリティー〉
ヒーリングファシリティーはそこに身を置くだけでストレスから解放され、免疫力が高まって健康を取り戻せるよう設計された空間で、温室や温泉、牧場や農場、ホテルなどを備える予定です。中心には本格的な医療を必要とする人に低コスト高品質のリーズナブルな医療を提供するためにAIによる自動運転を目指すデジタルホスピタルがあり、ここがトータルライフサポートサービスのセンターを兼ねています。
日頃はTLSに見守られ、時にはヒーリングファシリティーに遊んで免疫力を高め、本格的な治療を必要とするときは修理工場としてのデジタルホスピタルでリーズナブルなケアを受ける。一度「八王子モデル」が完成すれば、その応用で現在の社会問題の多くを解決することができる、と我々は考えています。


●八王子モデルの国内外への展開


〈いろどりの丘〉
我々は、八王子モデルは少子高齢化に加えて人口減にも悩む地方の市町村や九州沖縄などの島嶼部などでより威力を発揮するのではないかと考えています。
今年5月に、東日本大震災で壊滅した宮城県東松島市野蒜地区に、行政の支援も受けて「いろどりの丘」というクリニック、介護施設にレストラン、ホテル、岩盤浴などの商業施設を併設した複合施設を立ち上げました。地元の協力も得て安全安心快適な人々のよりどころ、小規模ながらヒーリングファシリティーおよびトータルライフサポートセンターとしての機能を果たせるような作りになっています。
運営は商業部門も含めてすべて医療従事者の手で行われており、レストランで使う食材の栽培やメニュー開発も自分たちで手掛けていて、研修に参加する医学生なども含めて医療従事者の意識改革にも役立っています。地域の評判も上々で市民団体、企業から行政に至るまでワクチンの接種や小児検診などの医療面では勿論のこと、研修会や芸術活動、パーティーなどにも利用頂いており、我々の考えが多くの人に浸透し始めたのを感じます。
現在宮城県内の他の市町村からも同様の施設が作れないか打診されていますし、我々自身でも沖縄本島山原地区や島嶼部において「いろどりの丘」のような施設を作れないか検討を始めています。政府も過疎化が進む地域での遠隔診療や行政分野でのDXの必要性から興味を示しており、「いろどりの丘」は今後少子高齢化に悩む日本の地方の救世主的モデルに成長するかもしれません。

〈サンライズジャパンホスピタル〉
国外にも活動範囲を広げており、5年前にカンボジアの首都プノンペンに救命センターの機能を有する100%日本資本の民間病院、「サンライズジャパンホスピタル」を開設しました。周辺諸国が手掛ける富裕層のためのクリニックとは違い、内戦で医療供給システムを失い医療の恩恵を受けられなくなった多くの一般国民を救うための病院建設でしたが、今では多くの市民の支持を得、またその後の同国の経済発展もあり黒字化できています。
20名の日本人スタッフの他に、医師や看護師をはじめ300名のカンボジア人医療スタッフを雇用しており、教育病院としての役割も果たしていて、最近ではカンボジア人医師が複雑な脳外科の手術をこなせるまでに育ってきています。最初はカンボジア人医療者を信用せず、日本人の診察を要求していた市民の意識も変わり始め、また今回のコロナ騒ぎで医療目的での出国ができなくなった富裕層が大勢来てくれるようになったことで、カンボジアに自給自足の医療を根付かせたいという我々の思いが実を結びつつあります。
これから先は経済の発展状況を見ながら八王子モデルをモディファイして提供し、市民社会の発展を支援すると同時に、社会保障的な意味合いも持たせるべく、医療本体ではなくて、システムの輸出や教育指導で利益が生み出せる病院を目指そうと考えています。


●もはや時代遅れと言わざるを得ない国民皆保険や医療法人制度にいつまで拘るのか


「いろどりの丘」「サンライズジャパンホスピタル」共に北原グループの株式会社、北原メディカルストラテジーズインターナショナルによる事業であり、営利事業や海外事業を禁じられている医療法人ではなし得なかった仕事ですが、私はこれらが今の皆保険に縛られた「狭義の医療」に替わる新時代の医療の先駆けになるのではないかと考えています。少子高齢化や経済の低迷で国民皆保険や医療機関の存続が危ぶまれる中、時代遅れの制度に固執するのではなくて、公益資本主義の考え方に則った新たな医療提供主体の創出を目指したほうがはるかに建設的と私には思われますが、ここは大いに議論してもらいたいところです。

■医療の仕事とは、まず自らの手が届く小さな範囲で美しい社会をデザインすること

医療は、病院という箱の中で病人がやってくるのを待ち構えて医術を施し、もって医療者が生活の糧を得る、患者が障害を残しても生活が破綻しても自分の手を離れて病院の外に行ってしまえばもはや関係ない、本当にそんなものであっていいのでしょうか。
医療機関であれば助けを求める人々に適切な医療を提供するのは当然のことであり、我々も脳と心臓の疾患を中心に年間4000件を超える救急要請をほぼすべて受け入れ、身寄りのない人や保険に加入していない外国人への加療も進んで引き受けて来ました。

それだからこそわが国の医療供給体制が崩壊寸前であることをひしひしと感じています。
一人暮らしで身寄りのない意識障害患者を受け入れた場合、医療機関は数々の困難に直面します。まず現病歴や既往歴が分かりませんし、検査や治療を行おうにも承諾書が取れず後から訴訟に巻き込まれる可能性があります。最終的に重度な障害を残し、あるいは意識が戻らなければ誰が治療費を払ってくれるのか。最悪亡くなってしまった場合ご遺体はどうするのでしょうか。それら様々な問題を嫌う多くの医療機関が、空床がないなどの理由でこうした患者の受け入れを日常的に拒否しており、結果そういった患者が我々の病院に次々搬送されてくる現状があります。
コロナ騒ぎで、多くの国民が本当に必要としている時に治療を受けられるとは限らないことを知りました。でもそれはパンデミック下の特殊な出来事というわけではなくて、進み行く少子高齢化の中で以前から起こっていたことなのです。今後ますます悪化していくと思われるこの状況にどう対処していけばいいのか。医療の側面、立場からだけ考えていて解決できるはずはありません。良い社会で暮らす人々が幸せなのではなくて、幸せな人々が暮らす社会が豊かな社会となることを考えれば、人とは何か、人の幸せとは何かという原点に立ち却って、医療を論じる前にまずは人の幸せを実現できる社会を建設することが大切であり、それこそが医療者の仕事、と私には思えるのです。
つい先頃まで、多くの国において新自由主義の名のもとに自由が何よりも貴いものとされ、政治の介入は極力減らすべきと考えられて来ましたが、結局それは圧倒的な貧富の差を生み、コロナに対しても何ら有効な手を打てない体制であることが分かってしまいました。そんな中、今、自由より平等、AIによって情報を集約しそれをもとに独裁者が方針を決定した方が結局すべて上手く行く、といった私にはとても危険と思える政治体制が民衆の支持を受け世界を席巻しつつあります。でも本当にそれを許していいのか、そう単純に割り切ってしまっていいのでしょうか。
私たちは、いまや自分たちの手には負えないまでに肥大してしまった国家を変えるにはあまりにも非力です。でも、私には自分たちの周囲だけに限れば全く打つ手がないわけでもないように思えます。今こそ立ち止まって本当の幸せとは何かを考え、自分たちの手の届く小さいコミュニティーの中でだけでも、健康や医療の他に教育や貧困、食糧自給や環境、そして経済や政治のあり方など直面している全ての問題について真摯に話し合い、皆が安心・安全・健康に暮らせる美しい社会を実現させることはできないものでしょうか。
勿論本質的に意見が異なる場合無理に迎合することなく自分に合った隣のコミュニティーに移るなどの自由は保障されていなければなりませんが。

そんな自立した小さいけれど豊かなコミュニティーがあちこちで立ち上がり、緩やかに連帯して国家としての対応を必要とする国防や外交の方針を決めていく。私は現状の信頼や絆、規範が失われた状態を根底から立て直し、全ての人が疎外感を味わうことなく交流を深め、健康かつ幸せに暮らしていくことができる社会を取り戻すにはそれしかないのではないかと考えて行動し、前項でお話ししたような様々な事業を営んでいます。
我々が直面している諸問題は相当に根深く複雑で、私も正直なところ自分さえよければそれでいい、と投げ出してしまいたくなることがあります。でもこれは決して私たちだけの問題ではありません。アジアも世界も、それどころか今、この地球上の生きとし生けるものすべてが矛盾の中で苦しみ悲鳴をあげています。それが分かっているからこそ私もスモール・イズ・ビューティフルの概念に立ち返り、他者の苦しみに目を瞑りその犠牲の上に成り立つ幸せなどあろうはずもないと自らを戒め、一歩ずつでも前進しようと努力しています。今後我々は、いや日本も世界ももっと大きな災厄に見舞われることになるかもしれません。でもよく言われるように明けない夜はない。私はその時こそ日本が再び輝き、世界に進むべき道を示せる国であることを願ってやみません。